原発事故で自主避難した私が考える「生きる覚悟」

「あい」と「たいわ」をテーマにしたブログ

愛の気づきだらけだった2017年♡

「私なんか」

謙遜なのかそれは本当に。

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私なんかができてるんだからみんなもできるよ!という考えが私の中に長い間あった。その考えほどむなしいものはないんだなということを実感した。

 

「私なんか」

 

という言葉には私なんかにはできてあたりまえなんだからみんなにもできるよという上から目線の言葉だったんだなーって。

よく、会社の上司とか、学校の先生が、

謙遜の意味らしく、

いやー俺なんてたいしたことないっすよ、とか、

いやー先生だってたいしたことないんだよ、とかいうけど、

まって。それ、本当にそうなんだろうか。

 

意外とダークな言葉なんだなと思うようになってしまった。

 

だって、私なんかにできるんだから、あなたにはできるよというのは、

もしも、その人ができたら、ほらね、できたでしょ?って言いたいからなんだろうか。

なんとなく、私はそうじゃない気がしてる、

できなかったときに、あれ?+やっぱり私じゃないとできないのかな?って思いたいだけなんじゃないかとか思ってきてしまって。

 

「あ、それすごいね」といわれたら

 

「そうでしょ!!!すごいでしょ笑」

といえるようになりたいなと思ったし、今度からそうしようと思ってる。

こういうのをいい意味での開き直りっていうのかな。

もちろん、自分で当たり前のようにやっていることが周りの人にとっては信じられないくらいすごいことっていうことって山ほどあるんだろうけど。

 

周りから、すごいといわれたり、褒められたりしたら、

そして、すごいでしょ、一緒にやってみようよ!といえるようになれたら、

素直で素敵だなと思うし、もっと自分のことを大切にできる毎日が過ごせるんじゃないかなって思う。少なくとも私は自分にストイックすぎるんだなーと思った。

 

「どうせむり」と「私なんて」

他人と自分をいじめない

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やさしさ

北海道でロケット作った植松さん。

私、この人のことがとても好きですし、

尊敬できる大人だなと思っているんです。

 

「どうせむり」

って言葉をなくしたい。

それだけで、私たちは子供たちに少しでもいい未来を残せる気がするって私も思います。

 

「私なんて」っていう言葉も同じかなと思う。

 

○○なんてとか、どうせ無理とか、

そんなの、やってみないとわからないじゃん。

今の大人ってそうやって私たちの夢や希望を、本当にかなわないものだと決めつけてきた。

たぶん、自分たちがそうやって決めつけられてきたから、ほかの人に対してもそうやって決めつけたいだけなんだろうなと思う。やり返す大人ってみっともないなーと思うけどね。

https://uematsudenki.com/%E8%AC%9B%E6%BC%94%E6%B4%BB%E5%8B%95/

 

せっかく北海道にいるんだし、今度植松さんに会いに行こうかな。

一緒に何か楽しいことできないかなって思う。

 

そういえば、この間はD×Pの今井さんと会った。

彼も、逆境があってここまで生きてきた素敵な人。

彼とも、何か私も一緒にやってみたいなと思った。

 

他虐、自虐をしなくなった大人たちは本当にこれからの未来を変えようとしているかっこいい大人だった。

逆境を本当の意味で乗り越えた人

本当の愛に気が付く

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逆境を本当に乗り越えた人って愛にあふれているんだなって思う。

そして、自分のやりべきことがよくわかってて、

楽しく、毎日を過ごしているんだなって。

 

被害者意識にも囚われてなくて、

むしろ、自分が犯してきた過ちにも向き合って、

未来のために自分が最低限できることを見失わずにずっと動き続けてる。

深く傷ついたあとに、人は人のことを恨んだり、憎んだりする。

たくさんおとなっていう存在に苦しめられた若者は、腐って、いったんぐれたりする。人をだますことも真似してしまったり、嘘を簡単についてみたり。

でも、そのたびに自分の中にある心の傷がうずいて苦しくなる。

 

そして、いつか、本当に自分の心の傷と向き合うことを決めたとき、

本当に「愛」するってどういうことなんだろうと考えるんだろうね。

 

みんな生かされてて、愛されてる

7年間の苦悩は愛の苦悩

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私は7年間、愛について悩んできたんだなということに気が付いた(腑に落ちた)。

 

15歳までの私は、憎い相手も、自分をいじめてきた相手も、

みんな人だから、同じ人間だから恨んじゃいけないんだと思っていた。

合わない人もいて当然だと思いながらも、それでも周りをゆるして愛せている自分が大好きだった。

 

でも、私はあの日を境に、信じていた存在から裏切られたり、

見放されたり、引き離されたりして、

大嫌いな人ができたり、憎い存在ができたりした。

その人たちは、命というものを本当にないがしろにする人たちで、

からしたら、本当にゆるせない人たちだった。

 

平気で人の命を捨てるような、

平気で人を殺すような神経をもつ人たちだった。

人として許せない人たちばかりだった。

でも、そんな人たちもやっぱり生きてる。

 

私はそんな人たちを見て、嫌いになって、憎くて、頭の中で何度も殺した。

ずるくて、ひどくて、卑怯で、何度も責めた。

 

私はそんな自分が悲しかった。

今思えば愛せない存在ができた自分が許せなかったし、愛せなくなった自分が悲しかった。平等に愛せない私なんていなくなってしまえばいいのにと思った。だから、たくさん傷つけた。

 

それだけ、私は純粋無垢だった。

一滴の墨汁が、ぽたっと半紙に落ちたみたいに。

真っ白の雪の上に、ぽたっと真っ赤な血が落ちたみたいに。

それがどんどん広がっていくのを感じていたんだと思う。

それがすごく痛かった。こころがグーッと締め付けられて、

つらかったんだなと思う。

 

「汝の敵を愛せ」なんて無理に等しくて、

自分には到底できないことなんだということを思い知った。

 

最近、それでいいんだと思えた。

むしろ、それでいいんだと。

愛せない人もいて、ゆるせないひともいて。

それでも私は今までここまで、生きてこれたじゃないかって。

自分、頑張ってここまで生きてきたし、生かされてきた。

導かれて、守られて、ここまできた。

それだけですごいことなんじゃないかって。

愛せない人ができた私のことも神様はゆるしてくれているから、

生かしてくれてる。

生きろと言ってくれたんじゃないかって思った。

それだけで、あー私の中にこんなに愛される素質があって、

生きる素質があってここまで来たんだなと思ったら、

自分を傷つけることはもうやめようと思えた。

 

愛せない人がいるから、

ゆるせない人がいるから、

私は祈る必要があるんじゃないかなと思う。

その人たちとゆるせない自分をゆるしてほしくて

頭を垂れて祈るんだなと。

 

 

マグダラのマリアの周りにいる人たちに

あなた方の中で罪のないものがこの者に石を投げつけなさいといった。

キリストが十字架にかかったとき、この人たちは自分が何をしているのかわからないのです。といった。

それがどういうことなのか、すごく理解できるようになった。

 

私は日曜学校にいっていたころ、

先生にこんなことを言われた。

 

君たち子供たちは神様の子供たち。

光の子たちなのだよ。

 

と。

 

神の子といえばイエスキリストだけだと思っていた私。でも最近ようやく先生が言っていた真意が分かった気がするのだ。

 

私たちも本当は神の子なのだと。

だから、イエスは神ではなく人としてこの地に来たんだと。

でも見本にしてはレベルが高すぎるし、到底イエスには及ばない。

でも私たちはその素質を持って生まれてきたんだと。

そのくらい私たちは子供のころ、愛に満ちていた。

いつの間にかおとなになって、子供のころのような純粋無垢さを失って、愛せたものが愛せなくなったり、使えていた力を忘れてしまったりする。

それでも神様が私たちを生かしてくれている。

それはやっぱり私たちが神の子だから。

いくつになっても。そして、この体がなくなっても、魂は残り続ける。

私の魂は愛の課題をクリアしたくて、この地にきて私という体を身にまとって、生活することを選んでくれたんだと思うと、うれしいなと思う。

 

今までのことは愛の課題だったと気が付いた2017年

来年は・・・?

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あれから7年たって、もう少しで8年目になろうとしてる。

2017年は後数日で終わる。

 

ろくでもない大人がたくさんいることもこの7年間で知ったけど、

一方すごくかっこいい大人がたくさんいることを知った。

特に今年は本当に素敵な大人と出会うことが増えた。

こころから、愛せる人たちともいえる人ともいえる存在と出会った。

 

私もそういうかっこいい、素敵な大人になれたらいいなと思う。

もっと来年は今年以上に愛に満ちた一年にできると確信してる。

私自身が自分を愛すことの意味が分かったから。

もう、私なんてとは言いたくないし、言わせない。

そのくらい、私は私のことを大切にしようと思う。

一度きりの人生だから。

心地よくて、楽しくて、幸せな毎日を過ごしたいから。

 

今年が、

ごめんね。ありがとう。お互いさま。おかげさまでにあふれていたように、

 

来年も、

ごめんね。ありがとう。お互いさま、おかげさまで。

が続きますように。

 

愛と対話がたくさん広がって、

少しでも幸せで、楽しくて、素敵な毎日が続きますように。

神様の愛に感謝して。