原発事故で自主避難した私が考える「生きる覚悟」

「あい」と「たいわ」をテーマにしたブログ

人として繋がりたい

謝れる人

ごめんねと言える

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私達は一生懸命声をあげてきたんだよ。

。。それなのに。。それなのに。。
本当に、ごめんね。。


目の前で、Twitterで、メッセンジャーで、そんなことを言われたことがある。泣かれたこともある。

 

私はこんな風にごめんねを言える人と関われていることに私は本当に感謝しています。

 

事故が起こってから、
戦争が起こってから、
そんなことを言っても戻ってこない故郷と、
戻ってこない大切な人がいる。

 

それがわかってるからこそ言える一言だと思うから。。そのひとの悲しみや憎しみ、怒りが、深く理解できる人だと思うから。

 

今、自分の周りにはそういう人がバックについていてくれる。

本当に心強いです。

 

私がまだ15の時に被災して、今、こうして逃げて、自分で考えて生活をできるようになったのも、こうした皆さんのおかげなのです。

 

確かにたくさん私は傷ついたし、

大人のことも信じれなくなった。

 

でも、それは私が、人として、いろんな人とかかわる再出発としてすごく必要なことだったとも思うし、あの震災と原発事故があってよかったとはいえないけれども、私にとって大きな気づきと学びを与えてくれたと思っています。

 

 社会的な常識、垣根を超えた人と人とのかかわり

もうレッテルなんて気にしている場合ではない

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大人、子供の垣根ももちろん、
社会的地位もとっぱらって、
私は人としてみなさんと繋がりたいし、
活動していきたい。
対話していきたいし、
本当の優しさとか愛を実行していきたいです。

 

レッテルなんて、国家なんて、超えて本来はつながらなければ意味がない。

もう、時代は戦う時代から、対話と愛を実行する平和の時代へとシフトしているのです。

 

核廃絶と平和は愛と対話とワンネスが作り出す

ノーベル平和賞を受賞したサーローさんのスピーチ全文をまとめていらっしゃる方がいたのでリンクを載せておきます。

blog.livedoor.jp

生死に関わる問題について対話の余地すら本来はないと考えています。

人としてダメなものは駄目だということを言えない。

目の前に死のうとしている人に、大丈夫?といえないし、それは良くないということも言えないほど。

 

そして、それを子供たちに人として教えることができない世の中なのです。

強いて言えば、本来教えなくてもいいはずのことを教えなければならないほどに、この世の中は衰退しているし、末期。

 

今の世の中、相手の背景すら知ることもなく、頭ごなしに否定して、自分の正しさを押し付けようとします。それは私自身も人のことは言えず、いつの間にか、自分の正論を振りかざすような形で相手に話をしていることがしばしばあるのです。

 

私が大切だと思うのは、この言いようのない、虚無感にさいなまれて、被害者として沈黙するのではなく、ともに、ゆるし、悔い改め、お互いがどうしたら前に進めるのかを考え、行動することだと思うのです。

 

それがいかに人にとっての尊厳であって、守られなくてはならないものであるかということを伝えなければならないと思うのです。

 

一人ひとり、その立場、立ち位置に立つのに、タイミングが異なるかもしれません。それは、ある意味仕方のないことです。ほかのだれかがその人に気が付かせたい、気が付かせようなどということは傲慢なのですから。

 

サーローさんは、何かをするように強制しているわけではないのだということがスピーチからもよくわかります。

 

切なる祈りと、想いのスピーチをしているのだと私は感じました。

 

気が付いた者たちは行動をしていくのみ。

そして、その参加者が、参加国が多くなり、一人一人が一人の人間としてつながり、平和を作り出すという共通意識を持てるようにしていきたいということを伝えているのだなと私は思いました。

 

これがまさに本当の意味でのワンネスの意識だと感じました。

垣根を超えたところでの真のつながり。

人として共に歩むこと。

 

悲しみを互いに持ちながら、それを認め合い、ゆるしあい、悔い改める。

そのことをより意識して私たちが人と対峙したときに、

そこに本当の人間愛が生まれ、平和が生まれるのだと思うのです。

 

平和を叶える。

 

私も考え続け、実行し続ける一人になります。

 

今日も祈りと感謝を忘れずに…。