原発事故で自主避難した私が考える「生きる覚悟」

「あい」と「たいわ」をテーマにしたブログ

万引き家族をみて

社会の歪みは人の歪み

 

この映画を見て叩くひとの気持ちがよくわからない。万引きがいいことかどうかとか、カップラーメンが高いか安いかとか、そういうことが問題ではない…。

 

本当の豊かさとはなんだろうか。

本当の家族とはなんだろうか。

と私は思った。

 

社会の闇をとことんみせてくる映画だった。あと味がどんどんでてくる。そんな映画。

社会の側の問題はこの社会にすむ人々自身の問題ではある。ただ、それにしてもこの国は権力や金に弱く、それを持ち得ない者は弱者として扱われてしまうという不公平で理不尽な社会システムだといえるだろう。そのシステムから脱却するために一人一人の生き方が問われているということは言わずもがなだと思う。

 

すべてのものごとには背景がある

 

主に映画の後半、登場人物たちの背景が明かされる。

 

虐待は連鎖するものだと言われている。貧困も同様に。虐待した親の背景をみてみれば、そこには貧困、DV、インナーチャイルドの傷など、とにかく愛が欠乏した状態であることがわかる。

 

虐待は自分がされたから、という理由でなんの疑問もなく子供を頭ごなしに怒鳴り、たたき、暴言などで傷つける。というパターンも多い。

 

最近読んだ本で大人になりきれない人の心理というものがある。大人になりきれていない「大人」たちは、自己肯定感も低く自分のことを愛せない。

 

再三、ブログで述べているが自分を愛せないひとは相手も愛せない。自分を愛せない理由の多くはインナーチャイルドが癒されていないからなのだが、その事についてはまた別にまとめたい。


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悔い改めと赦し

 

悔い改めと赦し、愛と対話があるからこそそれぞれの社会環境は健全になるのだろうなと改めて感じた。本当の「家族」という社会環境もそうなのだろうなと。

 

 悔い改めのためには受け入れるというプロセスがあるのだが、受け入れるというのは、虐待を許すということではない。

 

虐待があったという事実を認めるということなのだ。その問題から目をそらしていては、解決にはならない。

 

ただ、残念ながら血の繋がりは絶つことはできず、その親の子であることには変わりがない。どれほど対立したとしても。だからこそ、対話し続ける努力が必要で少しでも愛を持ち寄ることが大切なのだろうなとも思うのだ。赦すとはそういうことなのだと私は思う。許すことはできなくとも、親には親の背景があることを知り、それぞれ違う人間で他人であることを認識するだけでも赦しになり、親からの心理的な自立にも繋がる。

 

 

本当の豊かさというのは、心の豊かさがあることなのだろうな思う。ゆとりがあって、お互いを認めあえる、尊重できる。そんな本当は当たり前のことができるということが、本当の豊かさなのだろうなと。

 

物質的な豊かさほど脆いものはない。

どれほどお金があっても、どれだけ男、女に囲まれていようと心の傷はうまない。

それは、私も自分の経験からよくわかっている。ただ、むなしいだけなのだ。

 

万引き「家族」は肉親よりも愛があり、豊かさがあったのだろうなと思う。死の淵まで行ったからこそ「生きる」ことの重みが分かる。本当は生きるだけで、価値があるはずなのに。そこに人の欲が絡むだけであっという間に目の前に靄がかかる。

 

暗いトンネルの先に出口があるということは出口を見るまで信じられないかもしれない。それは神やイエスを見るまでは信じられないと言ったイエスの弟子たちや地域の住民、時には立法学者たちと同じなのだ。

 

それでも信じて歩いていくしかない。

これは自分自身をどれだけ信じれるかということでもある。

それが正に真の信仰心であり、自分が自分であることを受け入れ、悔い改め、赦しを乞い祈るということなのだと思う。

 

神の国を求めること

 

求めよさらば与えられん

という言葉がある。

 

神の国を求めることは私たちにとって、愛と対話の国を求めることと同じなのだろう。

これはキリスト教だからとか仏教だとか宗教の違いは関係ないことだと私は思う。

求めよさらば与えられん

という言葉は私たちが本当に心のそこから、いや、魂の底から望めば与えられるということを言っているのだと思う。

その上で

神の国を求めよ

という言葉をみれば、私たちが神の国を求めることは不可能ではなくそれは実現できることなのだということがわかる。

 

アダムとエバが神の国から追い出されたとき、女が蛇に唆され果物をたべ、男にもすすめて食べさせた。

 

私は女性が女性性と男性性を統合させることは神の国を求める上でとても大切なことなのだろうなと確信している。

 

社会を変えるのは想いと行動なのだ。

つまり女性性と男性性がバランスをとって、協力していけば社会を変えられるということでもあるのだ。

 

「家族」に「なる」

万引き家族は家族になろうと努力をした。

家族であることが当たり前なのではない。

愛は意思であるように、

家族も意思によって家族になるのだろう。

 

素晴らしい映画だった。

ありがとう…m(_ _)m