あいたいわ

「あい」と「たいわ」をテーマにしたブログ

徒然なるままに…

混沌とした社会の中で

 

こんにちは。

最近、ますます、政府の動きが意味の分からない方向に走っています。

モリカケはもちろん、

汚染土の再利用に向けた動き、

種子法廃止の動き…。

 

大人たちが、平気でうそをつき、

自分たちの都合のいいように今を生きています。その身勝手さが、子供や若者を苦しめています。

 

本当に悲しいことだなと思います。

しかし、一方で私ができることは…と考えた時に、

一人の人間としてできることは目の前にいる人をどうしたら愛せるかということなのかなと思っています。

 

え、それって何が関係しているの?

社会問題とどうして愛が関係するの?ということを思われる方もいるでしょう。

 

私は、原発事故の時に、身近な人たちを守り切れない人たちの姿を見てきました。

それは私も例外なくその姿を見てきた一人でした。

 

私は同時高校生でしたが、本当に自分ではどうすることもできず虚しかったです。

 

例えば、それなりのお金と地位、住む場所、仕事がなければ生きていけないというシステム。多くの大人たちはこの社会システムに従って生きることが正しいことだと思っています。このシステムから脱却するために、私たちはどうしたらいいのかなと私は日々考えて行動しているのです。

 

自分への想いは相手への想い

 

私のブログでは何回も出てくるワードですが、本当にこれは事実で、自分に対してナイフをむけるひとは他人に対してもナイフを向けます。

 

今社会が混沌としているので、どうしても社会システムを叩きたくなります。時には政治家を叩いてみたりするわけです。しかし、叩いているだけでは何も変わらないのです。

 

結局、周りを変えるということは本当に難しくて、相手が大きな力(圧力)を持っていればいるほど、変えるということは難しいです。

 

ただ、相手が変わらないからなにもしなくて良いということでもないですし、「どうせ無理」と諦めるのは話が違うと思っているのです。

 

まずは自分を受け入れて変えよう

 

自分への想いは相手への想い

これは逆も然りで、相手への想いは自分への想いなのです。

自分の変化がなければ周りが変わるということはまずあり得ません。

勝手に周りが何とかしてくれるという「甘え」が結局、今の社会システムにつながっているということを考えれば、まず、自分ができることを精一杯にするということが大切なのだと私は思うのです。

 

生きるということを真剣に考えた時に、

実は最後の壁というのは自分自身にあると思います。

 

自分がどうしたいのか、本当は何がしたいのか。

自分の意志があって初めて、自分の人生を歩むということができるのです。

生きるということを他人に任せないということは自分の足で生きていくということなのです。それは本当の意味での自己責任なのです。

 

そのとき、社会システムが自分の気持ちの邪魔をするということもあります。

たとえば、本当は引っ越しがしたいけどお金がない。

これが本当に本音ならば、お金を準備する必要があります。

それならば、早く引っ越しできるように、仕事を増やしたり、なんらか血眼になってお金を集めることになります。

 

ただ、ここで、何もせずに、ただ「お金がないから」といってただ胡坐をかいていてもお金はふってきません。そこで胡坐をかくのは「甘え」なのです。

 

何が「甘え」なのか

 

よく、精神障碍者にお前は「甘えてる」と言ってるひとを見ます。

ただ、私は一概にそういうことは言えないと感じています。

例えば、本当に途方に暮れるほどに絶望的な出来事も世の中にはあります。何を絶望的な出来事と感じるかは人それぞれです。人の痛みを本当に理解することはできないのです。寄り添うことしかできません。

 

甘えとは

 

努力の余地があるのにも関わらず、何もしないということは「甘え」なのだろうなと思うのです。「だったらこうしてみたら」という対案が出てこない状態というのは本当に苦しいものです。

 

想像力と創造力を欠いた状況でただ、そこに甘んじているという場合、周りから甘えていると言われても仕方がない場合もあるのでしょう…。

 

どんな問題にせよ第三者がそれが甘えかどうかということは一概に判断できないことだと私は感じています。

 

悲しみから哀しみに

 

許すことはできなくとも赦すことはできるはずだと私は思っています。もちろん、私は神ではないので全てがそうだとは言えませんが。

 

ただ、悲しみが哀しみになるときというのは慈悲にも近いものでしょう。

 

もう、悲しみを争いに繋げることは止めなければならないと私は思うのです。

 

憎しみがあることは愛があることの裏返しです。

 

私たち一人一人にも社会を変える力があるはずで、「生きていく」仲間としてささえあうことはできるはずです。

 

光の子たちに未来のバトンを渡すために、今日も1日祈りをもって生活したいです。